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大橋巨泉お別れの会・たけし、タモリ、石坂浩二、島田伸介など

 

大橋巨泉さんお別れの会

タレントの大橋巨泉さんが12日に82歳で亡くなった。筆者の子供のころには、なつかしの「11pm」のお色気コーナーを両親が寝た後にワクワクしながら見たものだ。その後巨泉さんが全盛期のころには「世界まるごとHOWマッチ」や「クイズダービー」を見て大人の雑学をいろいろと仕入れたものだ。

 

放送作家から司会者になった大橋巨泉さんにその才能を見出されて大成功をおさめた芸能人は数多くいる。中でもビートたけし、タモリ、石坂浩二、島田伸介などは特に巨泉さんと付き合いの深い人達だ。

 

今日は故人をしのんで大橋巨泉さんと芸人たちの思い出深いエピソードをご紹介しようと思う。

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大橋巨泉とビートたけし

巨泉さんは放送作家時代の習性でタレントになってからも若い芸人をスカウトしていたと言う。若い才能のありそうな人に声をかけて一度自分の番組にゲスト出演させる。そして合格するとレギュラーや他の番組での起用を検討するという。今は「世界の北野たけし監督」にまでなったビートたけしもその一人だ。1980年代にお互いに親交を深め自身の人気番組「世界まるごとHOWマッチ」に巨泉さんの一押しでビートたけしをレギュラーにいれた。たけしの頭の回転の良さと知識の深さに大変感心したと言う。巨泉さんいわくたけしの才能は瞬発力と毒性だと言う。たとえば「赤信号みんなで渡れば怖くない」とかは瞬発力と毒性の最たるものだろう。またたけしは海外旅行で入国カード申請の性別「SEX」の欄に「週2回と書いた」と言って巨泉さんや村田英雄さんを爆笑させていた。巨泉さんは「世界の北野監督」を素で「おい、たけし」と呼べる数少ない人物だった。

 

大橋巨泉とタモリ

放送作家の高橋秀樹さんが大橋巨泉さんとタモリを比較して面白いことを言っていた。曰くタモリほど肩の力が抜けている演者はいない。タモリのすることは全て余技でこなしている。その余技とはタモリの原点ジャズマンの余技だという。当時モダン・ジャズをやっていたタモリはトランペッターだったがあまり上手いほうではなかったと言う。それよりも才能を発揮したのはコンサートでの司会だった。マイクを持ったタモリの司会はアドリブとシャレが上手くきいて粋な雰囲気を会場に醸し出したと言われている。タモリにとっての司会業などは全て趣味の延長でこなしていたのだ。 

一方、大御所タレントでタモリの才能を発掘した大橋巨泉さんもジャズからテレビ界に転進して成功している。しかし大橋巨泉さんははじめ放送作家として脚本を書き始めその内書くのが面倒だから自分でしゃべっちゃおうと言ってタレントになった。大橋巨泉ほどテレビと言う仕事の表裏を理解していた人もいないと思う。実際にはカメラに向かって話すのにちゃんと視聴者の心をつかんでしまう。まさにテレビの仕事人だ。そこがタモリと巨泉さんの大きな違いで巨泉さんはテレビの申し子的存在でタモリのテレビは遊びの延長だったのだ。しかしどちらも人の心をつかんで離さない話術の才能は天下一品だ。そして二人ともジャズをこよなく愛し続けた男たちだ。

 

 

大橋巨泉と石坂浩二

巨泉さんと石坂浩二は長年同じ事務所に所属。7つ年下の石坂は「兵ちゃん」と呼ばれて巨泉さんに弟のようにかわいがられていた。仕事では「世界まるごとHOWマッチ」などに共演し私生活では巨泉さん、たけしらと共にオーストラリアに別荘を購入して休暇のゴルフを幾度となく楽しんだ。巨泉さん死去にあたっては「たくさんの巨泉さんの姿と言葉が頭の中をめぐっています。これからも忘れず、思い起こしては自分の励みにしていきたいと思うのです」と故人を偲んだ

 

大橋巨泉と島田伸介

島田伸介が暴力団との交際が報じられ突然の「引退」を発表した後、巨泉さんは島田伸介の引退を惜しむメッセージを発信している。

「ボクは引退には反対である。たしかに反社会的勢力との交際は、公人としてはまずい。だからそれなりの謝罪なり制裁は必要だ。少なくとも1年間の謹慎、休養くらいが妥当ではないか。

伸介の場合は芸人だし特に関西なのでそうした関係が生じやすかったと思う。それにしてもあの才能は惜しい。あの当意即妙の話術は現在ダントツである。全盛時代のビートたけしがようやく比肩できたほどだ。その上隠れた教養や知識が’ある。

20年も経つと皆全盛期のパンチが弱ってくる。特に『大御所』扱いされるといやでもそうなってしまう。そんな中で伸介のエネルギーと瞬発力は一向に衰えない。それに近年はタレントだけでなくプロデューサーとしての腕も見せてきている。これからが面白いと思っていたのに残念でならない」(2011年週刊現代9月17日号より)と週刊誌のコラムに寄稿している。芸能界の仲間としてそして先輩として島田伸介の才能を惜しんだのだった。

 

王貞治さんの弔辞に涙

f:id:freshwater24:20160906083146j:plain スポニチ

 

昨日営まれた「大橋巨泉のお別れの会」にはじつに800人以上の参列者が参加した。野球人らしい王貞治さんの人柄と巨泉さんとのお付き合いの深さを思わせるすばらしい弔辞を以下にご紹介したい。

「ジャイアンツでまだ若かった頃から、巨泉さんが野球が好きでジャイアンツが好きでよく野球場に来てくれました。なぜかワンちゃんワンちゃんとかわいがってくれました。私からしたら雲の上の人だったんですけど、今この写真の通りの素晴らしい笑顔で優しく声をかけていただいて、そのことが私ももっと頑張らないとだめだなと士気を高める材料にさせてもらいました。

 ジャイアンツの優勝旅行にもご一緒させてもらいました。巨泉さんが忙しい時期を抑えてもらって、そういう機会を作ってもらって、私たちの仲間にも喜んでもらって、改めて巨泉さんにはありがとうございましたという言葉しかないです。

 ジャイアンツのユニホームを30年して脱いだ時、すぐ巨泉さんから電話をいただいて、カナダに来いよと誘っていただきました。もちろんカナダに行ったことがなくて、はい、行きますと返事をして。大変素晴らしいところに連れて行ってもらいました。ゴルフもいろいろやりました。でも日本にいる巨泉さんとカナダにいる巨泉さん、全然変わりませんでした。日本にいるゴルフ場にいてメンバーと話しているような。巨泉さんってすごいなと改めて思いましたね。

 多種多芸といいますか、お仕事の広さ、お付き合いの広さもすごかったと思うんですが、その中で目をかけていただいた、かわいがっていただいたことを本当に今でもありがたく感謝しています。これからも巨泉さんの存在は皆さんの胸の中に生き続けていくと思います。私はどちらかというと堅苦しい方なので、巨泉さんのその場を明るくする人間性を、少しずつ受け入れていきながら少しでも近づけていけたらいいなと思っています。そう遠くないうちにそばに行けると思いますが、歓迎の準備をして待っていただきたい、そういう風に思います。素晴らしい笑顔にお会いできてきょうは良かったと思います。ゆっくり休んでいただくとともに、歓迎準備のほどよろしくお願いいたします。」

 

また昭和のテレビ人がお亡くなりになりました。大橋巨泉さんのやすらかなご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

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