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ブリッジオブスパイ、ドイツ・グリーニッケ橋とU2撃墜事件の解説

 

 

 

オスカーコンビ

スティーブンスピルバーグ監督と名優トム・ハンクスの『オスカーコンビ』による、史実歴史映画『ブリッジ・オブ・スパイ』が年明け1月8日から公開される。ストーリーは、1950-60年代のソ連とアメリカによる東西冷戦を舞台にしたスパイストーリーで、主役のトム・ハンクス演ずる弁護士『ジェームス・ドノバン』がソ連との捕虜交換交渉の大役を任される内容。

 

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すでにストーリーや作品情報については、多数のサイトで掲載しているので、ここでは、『ブリッジオブスパイ』のストーリーベースになったあの『U2撃墜事件』の概要と冷戦時代に捕虜交換が行われた『ドイツ・グリーニッケブリッジ』について解説したいと思う。

 

U2偵察機撃墜事件 (1960年5月1日)

U2偵察機は、1950年代後半に米国ロッキード社が開発した高高度偵察機である。アメリカは、ソ連との軍拡競争を有利にするべく、頻繁にU2偵察機をソ連領内に飛ばして、ソ連のミサイル基地や軍事施設を高高度から偵察していた。

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出典:Wikipedia, the free encyclopedia

 時代は、折りしもソ連のフルシチョフ首相が、スターリン時代からのソ連を転換させ、西側陣営と平和共存を模索している中、U2撃墜事件の2週間後には、フランス・パリでの米ソ首脳会談が予定されていたのだが、U2事件をきっかけに米ソ関係は、さらなる混迷の時代に突入する。

 

頻繁に高高度で領空侵犯を繰り返す米国U2に対して、ソ連もミグ19戦闘機がスクランブル発進で対抗していたのだが、ミグでは、高度が足らず実質的に迎撃は、不可能であった。これに対し、ソ連も新型ミサイルや高高度迎撃機の開発が急務であった。

 

実際にU2偵察機を撃墜したのは、すでにソビエト第一ミサイル部隊に実戦配備されていた『S-75地対空ミサイル』であった。ミサイル発射を命令し大金星を上げた、ボルノフ少佐は、U2撃墜後、大佐に昇格している。

 

U2撃墜事件のあった1960年5月1日は、メーデーとも重なり、モスクワ・赤の広場では、メーデーのパレードが行われていた。当時のフルシチョフ首相は、U2撃墜の報をパレード開始直後にしらされた。

 

 

 

フランシス・ゲーリー・パワー

撃墜されたU2偵察機の『フランシス・ゲーリー・パワーズ』パイロットは、パラシュートで脱出に成功し、ソ連領に着陸したのだが、その後、取り押さえられ、ソ連の惨い拷問に耐えかねて、自分が偵察機でスパイ行為を行っていたことを自白してしまったため、U2事件が全世界に知れ渡ることとなる。

 

当初アメリカは、スパイ行為を否定して、民間機が気象データを収集していたと嘘の声明を発表したのだが、パワーズの自白が明るみに出ると、時のアイゼンハワー大統領は、『アメリカの安全保障上、敵領空で偵察をするのは当然のことだ』とスパイ行為自体を肯定してみせたのだ。

 

ジェームス・ドノバン弁護士登場

元は、保険会社の弁護士をしていた『トム・ハンクス』演ずる『ジェームス・ドノバン』が、FBIに捉えられたソ連のスパイ『ルドルフ・アベル大佐』とU2偵察機パイロットでソ連に拘留されている『フランシス・パワーズ』との捕虜交換交渉を任される。

 

東ベルリンにあるソ連大使館での度重なる交渉の末、事件から1年9ヶ月後の1962年2月10日ベルリン西側、ハーフェル川に架かる『グリーニッケ橋』で二人のスパイの交換が行われた。

 

『グリーニッケ橋』は、第二次大戦後、ポツダム側が東ドイツ、ヴァンゼー側が西ドイツに分断され、ベルリンの壁とともに、東西冷戦の象徴とされてきた。過去には、幾度となくスパイや外交官の引渡しが行われてきた、歴史の生き証人的な橋なのだ。

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出典:Wikipedia, the free encyclopedia

 

『ブリッジ・オブ・スパイ』では、この『グリーニッケ橋』を『トム・ハンクス』演じる『ジェームス・ドノバン弁護士』が東西冷戦下のソ連とアメリカの『架け橋』的役割を見事に演じるところに見どころがある。

 

『ブリッジ・オブ・スパイ』は、すでに次回の米国アカデミー賞の候補として、ノミネートされている。すでに上映されている、アメリカなどでは、いろいろな批評もあるようだが、1月8日の日本公開を楽しみにしたい。