北島康介引退表明・海外の反応・金メダリスト、リオ五輪ならす"
レジェンド北島康介が引退を表明
(Swimming World Magazine)
現在行われている水泳日本選手権兼リオ五輪選考会で日本のレジェンド北島康介が平泳ぎ200m決勝で5位の成績に終わった。北島は100mに続き200mでも選考基準をクリアーできす”5度目のオリンピック出場をかけた彼の戦いは幕を閉じた。
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北島は、試合後のインタビューで「これが最後の真剣なレースです。こんなエキサイティングな気持ちは二度と感じられないと思います。後悔はありません。これが僕の水泳人生でした。引退はつらいけど、やれることはすべてやった、そんな気持ちです。」と応えている。
北島康介は、男子100m予選で選考基準よりも0.01秒速い、59.62秒の好タイムを出したが、決勝ではその力が出しきれす”59.93秒で2位に転落。
レジェンド北島、その名を歴史に残す
北島はアテネ五輪と北京五輪で100mおよび200mで金メダルを獲得し一躍その名を世界に広めた。また2003年と2007年の世界水泳選手権でも金メダルを獲得し世界中の水泳ファンを感動させた。レジェンド「北島康介」の引退は、大きな衝撃とともにその名を歴史に刻むこととなる。
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グッバイ・キング北島
(swimvortex.com)
北島康介の引退表明に時代の波を感じた。同じ日、豪州ではグラントハケット(35)が選考会にもれ、東京では北島康介(34)と松田(32)が五輪切符に届かなかったのだ。
34歳の北島は、試合後の記者会見で涙を抑えながら「僕の水泳人生はこれで終わりです。僕の中ではすべて終わりました。リオ五輪を目標にしてからは、それは長くつらい道のりでした。でも今日の結果を受け入れなければなりません。後悔はしていません。」
「僕のスタイルで泳ぎきりたかった。でも今日は最後の25mで失速してしまった。」
「もしろん今日の結果には僕自身がっかりしている。自分の持てるものはすべて出し切ったつもりだ。これで僕のアスリート人生が終わるけれど、これまで僕は本当にハードに戦ってきたと思う。」
100mと200m両方で金メダルを獲得した北島は、マイケル・フェルプス(米)や他のレジェンドと共に世界の水泳界にその名を刻む。
ハンセンとの激しいバトル
北島康介は1982年9月22日生まれ。1メートル77センチ、71キロ。100m59.78秒と200m2分09秒42で世界記録を持つ。過去にはアメリカのブレンダン・ハンセンと激しい戦いを繰り広げ話題をよんだ。
そしてもうひとつ2004年のアテネ五輪の時にはハンセンのアメリカチームから北島のキック(後ろ足のけり)は違反行為だとクレームがあがり論争が広がった。結局北島のキックに違反はなくアメリカのクレームは却下されるのだが、北島はそのクレームをバネにして2分09秒44のオリンピック記録を樹立して堂々の金メダルを獲得した。
北島はその時のインタビューで「アメリカのクレームのお陰でやる気が出た。これで彼らもこのクレームを終わらせるだろう。」と応えている。
Cho-Kimochi-ii
北島は試合のあとしばしば名言を口にしており、アテネ五輪100mで優勝したときの「Cho-Kimochi-ii」チョー気持ちいいは、日本中で流行語にさえなった。
北島と水泳の出会いは、3歳の時からだ。彼の父親は大変厳しい人で、言うことを聞かない北島をプールに放り込んだと言う。それが今日の「キング・北島」と呼ばれる歴史的な選手に成長したのだ。
応援して下さった皆様、本当に有難うございました。皆さんの応援があったから最後まで諦めないで勝負できました。背中を押してくれて有難う。僕のリオの道は閉ざされたけど、頑張ってリオの切符を掴み取った後輩達を応援してあげて下さい。
— Kosuke Kitajima (@kitajimakosuke) 2016年4月8日
「いよいよ引退の時がきた。。」
最後のレースを終えた時、日本のヒーロー「キング・北島康介」はプールサイドでなにを思ったのだろう。。
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